穴がぽっかり。

祖母が亡くなって一ヶ月が経ちました。
日々の生活は元通りに続いてますが、やはりまだ喪失感というか、
ふとした瞬間に『そっか、もういないんだった』と思うことがあります。

ダ・ヴィンチでNACS特集が掲載されていたり、
歌番組にポルノが出演していたり、
真田丸で渉さんのセリフがいつもより多かったり、
侍ジャパンが延長サヨナラで勝ったり、
Twitterで勝平さんがイラストや写真をアップしていたり、
冷凍庫に母親が買っていたアイスを発見したり、
そんなささいな事を、今まで逐一祖母に報告していたんだなぁ私。

それができなくなってしまったのが、無性に寂しくなる時があります。
まだ気持ちが切り替えられてないんでしょうね。
泣いたりはしないけど、『心に穴が空く』ってのはこういう状態なのかも。

今はまだ七日七日のお参りがありますし、四十九日を今月末にやるので、
そこでまた一区切りつけられるかもしれません。
でもやっぱり寂しい。
いて当たり前だった人がいなくなるのは、やっぱり寂しいです。

でも、いつまでも引きずってる訳にはいかないから、
過去に引っ張られ過ぎないよう、気をつけたいと思います。





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# by feeling_leaf | 2016-11-15 23:09 | ふと思うこと | Trackback | Comments(0)

じゃあね。

別にレポしたい訳ではありませんが、
私がこの日のことを覚えておきたいので、続きを書きます。


葬儀屋さんが到着してベッドから遺体を移す際、
祖母の遺言として頼まれていたことを『絶対に守らなくてはっ!!』とお願いして、
大好きだったパク・ヨンハの毛布に包んでもらいました。
お棺に入れる際もちゃんと下に敷いてくれました。
まだ普通に元気だった時から言われてたんです。
「棺桶に入る時にはこの毛布かけてね」って。
約束は守ったよ、ばーちゃん。

遺影は以前、高木渉さんが客演された舞台を見に行った時に
撮らせてもらった写真を私が選びました。
表情もサイズ的にもちょうどよかったので。

15日(土)に亡くなり、16日(日)がお通夜、17日(月)が告別式となりました。
(18日が友引だったので)
いくら日曜日だったとはいえ、亡くなった翌日にすぐ集まるのは難しく、
関東圏に住んでいる親戚は17日のみの参加。
お通夜は関西圏と県内の親戚のみで行いました。
家族葬にしたので参列者は少なく、本当にこじんまりとしたものでした。
でもこれでよかったと思ってます。
祖母自身も「葬式にお金かけなくてもいい」と言ってましたし、
特に付き合いのあるお友達もいませんでしたし。

お通夜の前、式場に着いたら県内に住んでいる従兄弟が、
棺の前で目も鼻も赤くなるほど泣いてました。
好きだったもんね、おばあちゃんのこと。
よく長電話してたもんね。
「苦しい思いをした時間は少しだけだったよ」と教えたら、
少しホッとしたような顔をしていました。
彼の母親(伯母)はガンで数年入院していましたから。

お通夜は滞りなく進み、最後に喪主である父親からの挨拶があったのですが、
数秒の沈黙の後・・・「何言うか忘れた」。
我慢していた涙が一気に引っ込みました(苦笑)。
そうね、あなた人前に立つの得意な人じゃないしね。
家族葬だから親戚だけだし、長々喋るよりよっぽどいいよ。

今回の式場は新しく作られたものらしく、
関係者が泊まる部屋も結構豪華。
ベッドが2台ある洋室に和室が一つ、シャワーだけでなく浴槽もあるお風呂。
かなり快適に過ごせそうな部屋でした。
両親は泊まり込みましたが、私は一旦帰宅。
翌日の朝が早かったので、シャワーだけ浴びて寝ました。

翌日式場へ行くと、関東圏組の叔母一家が到着していました。
夜通し車を走らせてきたそうで、運転した従兄弟は車の中で一休み。
結婚して関西から東京へ行った従姉妹も着き、参列者が揃いました。

式が始まる前にお棺の前で従姉妹と話していたら、
葬儀場の方が途中から、祖母の情報を聞き出そうと会話に参加してきました。
そしたら式の最後にその内容をほぼまるっと使われて・・・。
顔文字で表すと Σ( ̄□ ̄;>使われた!! って感じ。
でもお棺の中にお花や遺品を入れる時、BGMをわざわざパク・ヨンハにしてくれました。
それに関しては本当に有難うございます。
だけどEXILEやポルノが好きだった事まで言わなくていいんじゃない?(笑)
もっとちゃんとした情報を話せばよかったのかな。
めっちゃ恥ずかしかったんだけど・・・。

お棺の中にはパク・ヨンハのカレンダーと、さんにんのかいの台本、
棚の中から出てきた昔の写真を入れました。
写真は見つかった分、全部を入れようとしたら止められました。
そりゃあね、結構な枚数あったから仕方ないよね。

告別式が終わり、出棺となった時、私は写真を持たせてもらいました。
が、すぐにそれぞれの車で火葬場へ移動しなければならず、
私も運転しなくちゃならなくて、結局は従姉妹にお願いしました。

火葬場に着いたら、本当にお別れです。
もう一回顔を見て「じゃあね」と言いました。
この瞬間にふさわしい言葉が全く浮かばなかったので。
焼き終わるまでの間、待合室で一休み。
運転手以外はお弁当をおかずに酒盛りです。
父親が、自分が飲みたいからってコンビニで買い込んできたものだから・・・全く。

遺体が焼き終わりまた戻ると、もはや祖母の面影はありません。
白い骨だけになってしまいました。
パクちゃんの毛布も、台本も、一切残っていません。
ちゃんと忘れずに、向こうへ持っていけたかな?
先に父親が喉仏を拾って小さい骨壷に入れた後、
順番に大きな骨壺へ祖母の骨を入れていきました。
歩かなくなったからなのか、足の骨はだいぶ細くなっていましたが、
頭蓋骨は結構そのままの形をキープしていました。

そしてまた斎場へ戻り、初七日の法要。
・・・正直な話、みんな眠気MAXだったと思います。
私も冊子を見ながら一緒にお経を言うところがいちばんキツかった・・・。
途中でどこ読んでるのか分からなくなったほど。
でも・・・確実に住職が間違えてましたよね?

やっと眠りの呪文から解放され、県内組はここで帰路へ。
地方組は一旦皆で我が家へ。
喪服を着替えたり、帰りの運転のために仮眠をとったり、
一息ついたところで解散となりました。

皆が帰った後、両親は速攻寝てましたが、
私は少しずつ輝子死去の連絡を各方面にお知らせしてました。
多分もうほとんどの人に伝え終わってると思うので、
やっとここに書けます。
書きながら、怒濤の三日間を思い出して、
自分の心の中を整理していたような気分です。

まだ四十九日までは毎週お参りがありますが、
遺品整理や模様替えなどはあらかた済みました。
四十九日でやっと一区切りつけられるかな。


それから今回、mixi、Twitter、メールなどで
いろんな方からお悔やみの言葉を頂戴しました。
本当に有難うございます。
できましたら祖母のこと、覚えていて下さると嬉しいです。
身内の話を長々と失礼致しました。





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# by feeling_leaf | 2016-10-23 03:00 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

いつかは訪れる日。

少し落ち着いたので、こちらでもご報告を。

10/15(土)午後5時51分、祖母の輝子が亡くなりました。
あと一ヶ月、11/29まで頑張ってくれたら90歳になれたのに・・・。

去年の秋頃から体調を崩し、半寝たきり状態になりましたが、
今月頭くらいまでは普通に過ごせていたんです。
トイレも自分で行けたし、食欲は落ちたもののご飯も自分で食べていました。
お風呂だけは入ると疲れてしまうので、体を拭いたりしていましたが、
私達がするのはそれくらいで、特に介護をした、という気持ちはありませんでした。
入院はせず、自宅での訪問看護だったので余計にそう思うのかも。

ですが、今月半ば頃になって急に体調が悪化し、
何も食べられなくなり、トイレにも行けなくなりました。
輸血が点滴に変わり、喋るのも苦しそうでした。
自分でできることがどんどん少なくなって、
いよいよ介護用ベッドと酸素ボンベを入れました。

その翌日、様子がおかしかったと思ったら突然喀血(吐血?)をし、
また横になったと思ったら、隣の部屋にいた父親から
「息してないぞ」と言われ、急いで祖母の元へ。
手首や首、胸に手を当ててみても動いてる様子はなく、
訪問看護の先生に電話をしました。

そして仕事に出ている母親のところへ父親が行っている間、
私と祖母、二人きりになりました。
いろいろと話しかけてみたのですが、答えは何も返ってきません。
手や顔が少しずつ冷たくなっていきました。
泣きながら、何度も話しかけたのに、表情一つ変わらない祖母。
電話を聞いて駆けつけた弟が来るまで、ずっと涙が止まりませんでした。

その後に両親が戻ってきて、義妹と姪っ子二人も来てくれました。
下の姪っ子はまだ3歳だからよく分かっていませんでしたが、
上の姪っ子はもう4年生なので、祖母の顔を見てポロポロと涙を流していました。
特に上の子は祖母のことが大好きで、小さい頃は家に来る度
「てるこちゃん」と呼びながらいつも一緒に遊んでいましたから、
突然の出来事にショックも大きかったと思います。
だって先々週くらいに来た時はまだ元気だったもんね。
下の子の運動会のビデオ、一緒に見たもんね。
つい先日学芸会があったのに、ビデオ見てもらえなかったね・・・。

全員が集まった頃、先生が到着して最期を確認し、
一緒に来た看護師さんと、私と姪っ子達で死化粧をしました。
いつもはすっぴんなのでメイクした顔は見慣れなかったですけど、
数年前に亡くなった叔母に何だか似てる気がしました。
直接血が繋がってた訳じゃないのに・・・不思議です。

後は死亡診断書や葬儀の会場決め、
親戚関係への連絡を両親がしている間、
姪っ子と一緒に祖母の隣にいました。
何か・・・離れ難くて。
離れ難かったんですが、それ以上に重要な問題がありまして・・・。

私、喪服持ってない!!

祖父が続けて亡くなった時に買ったのは若い頃のものですし、
何より体型が変わってしまって、絶対に入らない・・・。
住職さんが来る前に急いで買いに行きました。
結構大きな買い物でしたけど、今後も必要な物ですから若干予算オーバー。
サイズの号数見た時のダメージは大きかったですが、それが今の私だから仕方ない。
・・・痩せよう、うん。がんばろ。




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# by feeling_leaf | 2016-10-22 23:36 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

こんな雰囲気でした、くらいでお読み下さい。

一日空いてしまいました、すみません。
では、覚えてる限りの続きを。


10分休憩の後、朗読ドラマで後半戦スタート。
確かアニキンのCDに収録されてたドラマの○○年後、みたいな話だったと思います。
記憶が曖昧ですみません、ちゃんとメモしとくんだった・・・。
最後にちょい役で勇気君も登場。
でもホントにちょっとだけでした。

そういえばお三方の真ん前に座ってたお客さんがグリーンカレーを食べてたらしく、
麻弥さんがめざとくそれを見つけ「私も食べたいなぁ」とポロリ。
で、結局5番さん(会場へ入る時に注文用に番号札を渡されたのです)が
ごちそうする形でグリーンカレーが麻弥さんに届きました。
3人でシェアしながら食べてましたが、最後はやはり麻弥さんの元へ。
25年経っても麻弥さんの食欲は衰えなしのようです(笑)。

今回はTENMUS3人のサイン色紙を抽選でプレゼント。
参加費はチケット代金+1オーダーだったのですが、
2品目からは1品ごとに番号の書かれた紙が一緒に配られました。
この紙に書かれた番号で抽選を行ったので、
たくさん注文した方が有利となります。
なかなか商売上手だなぁ。
結局私の回りで当選した人はいませんでした・・・残念。
ついでに、と麻弥さんのサイン入りCDも出されましたが、そちらもアウト。
やっぱりこういう時の運ってないんだよな、私。

シメはやっぱり「WE ARE TENMUS」。
ちゃんと大沼さんも歌ってるファーストヴァージョンです。
もう何年も聞いてないので、歌詞があやふやだろうなぁ、と思ってたのに、
曲が流れてきたら自然と歌えていた自分にビックリ。
もはやDNAレベルで刷り込まれてるくらい聴きまくってたんでしょうね。
我ながらちょっと驚きましたわ。
サビの部分は皆で歌えるように、机の上にカンペを出して下さいました。
・・・9月のカレンダーの裏に(笑)。
このユルさもTENMUSならでは、有難うございます!!

歌が終わってイベントもお開き。
私絶対にどこかで泣くと思ってたんですけど、
最後まで泣かずに、笑顔で参加することができました。
多分TENMUSはそっちの方が喜んでくれるだろう、と思うので
その点はよかったなぁと思います。
終了後はやまあらしっぽっぽさん一家や、きつねのしっぽさん達にご挨拶しつつ
人が引くのを待ってから会場を後にしました。


こんな感じのイベントでした。
きっと書き漏らしてることや、順番通りじゃない部分もあると思います。
もし覚えてる方がいらっしゃいましたら、訂正お待ちしております。

何だかんだで一週間かかってしまいました、すみません。
もう少し早く、コンパクトに書ければいいんですが・・・私には無理みたいです。
だって書きたいこといっぱいなんだもん。
自己満足の極みのようなレポでしたが、読んで下さった方、お疲れさまでした。
またこんなイベントやってほしいですね・・・できれば次回は名古屋で!!





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# by feeling_leaf | 2016-10-09 19:26 | イベントのこと | Trackback | Comments(0)

順序通りではありません。

では早速続きを。

相変わらずというか、終始麻弥さんは安定の暴走気味で。
勝平さんと大沼さんだけではなく、
客席のこちら側も若干置いてけぼりにされる時がありました(笑)。
でもそれでこそ麻弥さんだと思います。
ラジオでもよく言われてましたもんねぇ、「恐るべし、岡本麻弥」って。
これだけ月日が流れていても、麻弥さんは変わらず麻弥さんでした。
その分、勝平さんがあまり喋ってなかった気がします。

そういえばイベントのために、麻弥さんは家の中にあるTENMUS関連の
懐かしいグッズをたくさんご持参してらっしゃいましたが、
アニキンのラストイベントの時に着た、というTシャツを見せても
同意してくれる人は誰一人おらず・・・キレてました(笑)。

でもこの日、いちばん暴走してたのは大沼さんかも。
途中ゲストで麻宮騎亜先生が登場されましたが、
そこからアニメキングダムがどうして始まったのか、
そして何故終わって、アニキンフリーダムになったのかを
麻宮先生と一緒に爆弾発言満載で語ってくれました。
「お前ら絶対ネットで書くなよ!!」と言われたので、
詳しい内容については触れませんが・・・すごかったっスよ。
でもこちらにとっては謎が解明されたので、どこかスッキリした気がします。
やー、面白かったわー。

あとゲストがもう一人、声優の泰勇気さんが登場。
本当ならお父様の泰英二郎さんもゲストだったらしいのですが、
体調崩して欠席となってしまいました。
親子共演ならず・・・残念。
アニキンフリーダムの頃、勇気君は高校生くらいでしたね。
度々番組にも登場していました。
それを知ってるだけに・・・大きくなったねぇ、と親戚のおばちゃん感覚。
今では立派なプロモデラー・・・ではなく、声優さんになりました。


イベントでも途中で10分ほど休憩があったので、こちらも一旦切ります。
次で書き終わる・・・かな?





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# by feeling_leaf | 2016-10-07 02:14 | イベントのこと | Trackback | Comments(0)