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Feeling leaf

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じゃあね。

別にレポしたい訳ではありませんが、
私がこの日のことを覚えておきたいので、続きを書きます。


葬儀屋さんが到着してベッドから遺体を移す際、
祖母の遺言として頼まれていたことを『絶対に守らなくてはっ!!』とお願いして、
大好きだったパク・ヨンハの毛布に包んでもらいました。
お棺に入れる際もちゃんと下に敷いてくれました。
まだ普通に元気だった時から言われてたんです。
「棺桶に入る時にはこの毛布かけてね」って。
約束は守ったよ、ばーちゃん。

遺影は以前、高木渉さんが客演された舞台を見に行った時に
撮らせてもらった写真を私が選びました。
表情もサイズ的にもちょうどよかったので。

15日(土)に亡くなり、16日(日)がお通夜、17日(月)が告別式となりました。
(18日が友引だったので)
いくら日曜日だったとはいえ、亡くなった翌日にすぐ集まるのは難しく、
関東圏に住んでいる親戚は17日のみの参加。
お通夜は関西圏と県内の親戚のみで行いました。
家族葬にしたので参列者は少なく、本当にこじんまりとしたものでした。
でもこれでよかったと思ってます。
祖母自身も「葬式にお金かけなくてもいい」と言ってましたし、
特に付き合いのあるお友達もいませんでしたし。

お通夜の前、式場に着いたら県内に住んでいる従兄弟が、
棺の前で目も鼻も赤くなるほど泣いてました。
好きだったもんね、おばあちゃんのこと。
よく長電話してたもんね。
「苦しい思いをした時間は少しだけだったよ」と教えたら、
少しホッとしたような顔をしていました。
彼の母親(伯母)はガンで数年入院していましたから。

お通夜は滞りなく進み、最後に喪主である父親からの挨拶があったのですが、
数秒の沈黙の後・・・「何言うか忘れた」。
我慢していた涙が一気に引っ込みました(苦笑)。
そうね、あなた人前に立つの得意な人じゃないしね。
家族葬だから親戚だけだし、長々喋るよりよっぽどいいよ。

今回の式場は新しく作られたものらしく、
関係者が泊まる部屋も結構豪華。
ベッドが2台ある洋室に和室が一つ、シャワーだけでなく浴槽もあるお風呂。
かなり快適に過ごせそうな部屋でした。
両親は泊まり込みましたが、私は一旦帰宅。
翌日の朝が早かったので、シャワーだけ浴びて寝ました。

翌日式場へ行くと、関東圏組の叔母一家が到着していました。
夜通し車を走らせてきたそうで、運転した従兄弟は車の中で一休み。
結婚して関西から東京へ行った従姉妹も着き、参列者が揃いました。

式が始まる前にお棺の前で従姉妹と話していたら、
葬儀場の方が途中から、祖母の情報を聞き出そうと会話に参加してきました。
そしたら式の最後にその内容をほぼまるっと使われて・・・。
顔文字で表すと Σ( ̄□ ̄;>使われた!! って感じ。
でもお棺の中にお花や遺品を入れる時、BGMをわざわざパク・ヨンハにしてくれました。
それに関しては本当に有難うございます。
だけどEXILEやポルノが好きだった事まで言わなくていいんじゃない?(笑)
もっとちゃんとした情報を話せばよかったのかな。
めっちゃ恥ずかしかったんだけど・・・。

お棺の中にはパク・ヨンハのカレンダーと、さんにんのかいの台本、
棚の中から出てきた昔の写真を入れました。
写真は見つかった分、全部を入れようとしたら止められました。
そりゃあね、結構な枚数あったから仕方ないよね。

告別式が終わり、出棺となった時、私は写真を持たせてもらいました。
が、すぐにそれぞれの車で火葬場へ移動しなければならず、
私も運転しなくちゃならなくて、結局は従姉妹にお願いしました。

火葬場に着いたら、本当にお別れです。
もう一回顔を見て「じゃあね」と言いました。
この瞬間にふさわしい言葉が全く浮かばなかったので。
焼き終わるまでの間、待合室で一休み。
運転手以外はお弁当をおかずに酒盛りです。
父親が、自分が飲みたいからってコンビニで買い込んできたものだから・・・全く。

遺体が焼き終わりまた戻ると、もはや祖母の面影はありません。
白い骨だけになってしまいました。
パクちゃんの毛布も、台本も、一切残っていません。
ちゃんと忘れずに、向こうへ持っていけたかな?
先に父親が喉仏を拾って小さい骨壷に入れた後、
順番に大きな骨壺へ祖母の骨を入れていきました。
歩かなくなったからなのか、足の骨はだいぶ細くなっていましたが、
頭蓋骨は結構そのままの形をキープしていました。

そしてまた斎場へ戻り、初七日の法要。
・・・正直な話、みんな眠気MAXだったと思います。
私も冊子を見ながら一緒にお経を言うところがいちばんキツかった・・・。
途中でどこ読んでるのか分からなくなったほど。
でも・・・確実に住職が間違えてましたよね?

やっと眠りの呪文から解放され、県内組はここで帰路へ。
地方組は一旦皆で我が家へ。
喪服を着替えたり、帰りの運転のために仮眠をとったり、
一息ついたところで解散となりました。

皆が帰った後、両親は速攻寝てましたが、
私は少しずつ輝子死去の連絡を各方面にお知らせしてました。
多分もうほとんどの人に伝え終わってると思うので、
やっとここに書けます。
書きながら、怒濤の三日間を思い出して、
自分の心の中を整理していたような気分です。

まだ四十九日までは毎週お参りがありますが、
遺品整理や模様替えなどはあらかた済みました。
四十九日でやっと一区切りつけられるかな。


それから今回、mixi、Twitter、メールなどで
いろんな方からお悔やみの言葉を頂戴しました。
本当に有難うございます。
できましたら祖母のこと、覚えていて下さると嬉しいです。
身内の話を長々と失礼致しました。





by feeling_leaf | 2016-10-23 03:00 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

日々思った事を徒然に。


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